トミーのくねくね横丁 リターンズ! りぼん展スペシャル

横丁の有名人/田辺真由美先生

1993年10月号から1996年お正月特大号の「りぼん」で人気を博した読者コーナーが「トミーのくねくね横丁」。当時は新人編集だった冨重実也さん(のち、りぼん編集長)と、若干19歳ながら「りぼん」のキャリアは先輩・田辺真由美先生がおりなす愉快なテンションは、当時の250万乙女たちの記憶にバッチリ残っていますよね!

今回は「くねくね横丁」名物コーナー・「横丁の有名人」SPゲストとして、現在「Cookie」で『まゆみ!! 2019~再婚~』を好評連載中、田辺真由美先生にお越しいただきました。(ワーパチパチパチパチ!!)

●「くねくね横丁」の思い出

――ということで、「くねくね横丁」当時のお話をお伺いできたらと思います。

田辺真由美(以下:田辺)はーい。よろしくお願いします。

――まず、「くねくね横丁」の依頼を受けた時のことを教えてください!

田辺:えーと、その頃は『まゆみ!』※1の連載をしていたのと、当時通っていた短大が高田馬場にあったので、打ち合わせがてら時々神保町の集英社に立ち寄ってたんですよ。それで、まだ新入社員だったトミー(冨重さん)に「新しい読者コーナーを一緒にやってもらえませんか?」と声を掛けていただいて。「…次は私かい!」と正直ビックリしました。昔の「とんケチャ」※2とかもずっと楽しく読んでいましたし、「読者コーナーをやると売れる」というジンクスがあったので、ちょっと緊張したのを覚えています。

――「とんでもケチャップ」は柊あおい先生やさくらももこ先生が担当で、注目のコーナーでした。「くね横」の立ち上げは、まずトミーの似顔絵からスタートしたんでしょうか?

田辺:そうそう! 似顔絵を描くのにわざわざ写真を撮ってもらって、ちゃんと見ながら描いたんですよ。そしたら連載第2回でトミーがメガネからコンタクトに変えちゃったんです! 「メガネを変えた」ならまだしも…コンタクトって(笑)。デストラーデ※3みたいな、すごく特徴的なメガネだったのに。

――第1回目で「若くて高身長でメガネの美青年って、わたしの好み」っていうお便りをわざわざ冒頭に載せてましたよね…。

田辺:そうなんですよ!それなのにコンタクト…。だからもう、2回目の打ち合わせの時からすでに、このキャラに違和感しかない(笑)。

――毎回顔を合わせて打ち合わせされていたんでしょうか?

田辺:はい。学校帰りに時々、ごはん食べながらササッと打ち合わせしてました。「まぁちゃん、何か新しいことあった?」というノリで雑談して、ひとしきり盛りあがると「じゃあそんな感じで(描いてね)」と。一応下絵は見せてましたが、変なところがなければそのまま仕上げていましたねー。この「一人暮らしネタ」※4は、本当にその時期一人暮らしを始めたから描いたんですね。そんな感じでフワッと(笑)。自由に描かせてもらっていました。

――それでこの「細長いまんが」部分ができあがるわけですね? 実際はじめてこの原稿を描かれた時の感想はいかがでしたか?

田辺:「ほっそいなー(しみじみ)」と(笑)。もともと4コマまんが家なので、こまかいのは苦ではなかったんですけどね。今はもう…老眼で無理~(笑)。文字も全部手描きですごく大変でしたが、ここでの修行がその後の連載にも活かされたと思います。4コマの天地の空きスペースに、細長くおまけまんがを描いたり…。それこそ、米粒に絵を描けるぐらい上達しました!

――読者の依頼(相談)に探偵が答える「横丁探偵団」は、面白いキャラが毎回登場しますが、こちらはどうやって考えていたんでしょう?

田辺:その時になんとなく思いついたダジャレですね。打ち合わせの時に「きっとこんなキャラだよね~」って言って。「酢毛挽(すけばん)」なんて描いてたんだなあ。一番覚えてるのは「ラモシンド」っていう、アルシンドとラモス※5を足して2で割ったキャラクター。当時確かJリーグが開幕したばかりで、盛りあがってたんですよ。ホントその場のノリです。その後で、トミーがキャラの口調を考えて読者のお悩みに答えていったんだと思います。私は絵を描いた後は何もしない(笑)。

――先生ご自身は、読者コーナーに投稿したことはありましたか?

田辺:「お悩み相談」的な投稿はしたことがなかったですねー。リアルでも悩み相談ができない性分なんで。アハハ……。でも、イラストコーナーに送ったことはありますよ!吉住渉先生の『ハンサムな彼女』の絵を描いたんですが、掲載されなかったんです。それが悲しかったので、「くねくね横丁」では、柱部分の「路地裏のノラ」っていうイラストコーナーを「イラストでいっぱいにしてほしい」ってトミーに言ったんです。確か最初はハガキが3枚ぐらいしか載ってなかったので、ぎゅうぎゅうに詰めてもらって。お題もかなりゆるかったんです。動物だったらなんでもOKなんで。

――「今日から有名だ!」もハードルの低い投稿コーナーでしたね。とにかく学校名や部活名を大きく描いて送る! 身近な人が載ると、かなり評判になりました。

田辺:このコーナーの学校紹介ハガキ、今見るとすっごいおもしろいですね(笑)。「大阪に転校するならココ!」ってハガキがあるけど、6年生だからその子卒業しちゃうし、自由に選べないよね(笑)。「笑いの一本道」も、すごいシュールでおもしろい! 12文字以内のギャグってかなりレベルが高いですね。しみじみ読みこんじゃうな、コレ…。

――ちなみに「横丁の有名人」とお会いしたことはありますか?

田辺:実は何回かあるんです。トミーに「次はこの人なんだよー」って教えてもらって、時間が合う時に「えへへ~」って言いながらついていくんですけど、質問を振られても「特にないです」とか言っちゃって。「お前何のためについてきたんだよ」って(笑)。
第2回のゲスト・嘉門達夫(現:嘉門タツオ)さんとは、ちゃっかり一緒に写真撮ってもらったんです。
(ガサガサっと秘蔵写真が封筒から現れる)

――気合いの入った写真ですね

田辺:録音スタジオにお邪魔したんじゃないかな。第1回が関口宏さん、第2回が嘉門達夫さんと玄人好みのゲストが続いて、物議を醸しましたよね(笑)。実際は、堂本剛くんとか、菅野美穂ちゃんとか、西田ひかるちゃんとか、鉄板のアイドルもたくさん出てました。「Wink」は当時付き合ってた彼氏が好きで、「写真を撮ってこい」と言われて、取材について行ったんです(笑)。例によって質問できないんですが、写真だけ撮ってもらって。その後彼氏に見せたら「おぉ~! 本物のさっちんじゃん~」とうらやましがられました。しかもそれ、トミーには内緒にしてたと思う(笑)。あと、松村邦洋さんの回は違う意味で覚えてます。ずーーーーっとモノマネしているんですよ。ビートたけしさんに始まり、掛布さんとか…おなじみのものから未公開のモノマネもやってくださって、とっても似てるんです。ただ、ほぼモノマネしてたんで、松村邦洋さんの印象がまったく残ってないっていう(笑)。

●スターがいっぱい 250万乙女時代

――当時、他の連載作家さんとお会いすることはありましたか?

田辺:年1回謝恩パーティーがあって、その時に拝見する感じでしたね。すごくきらびやかだったんですよ。デビューした年は、さすがに受験もあったので、高校に入ってから行ったのかな? 制服着て。その次の年は高校の公衆電話から「部活があるので行けません」って連絡したのを覚えてます(笑)。制服だったのは、今はわりとカジュアルな服でパーティーに行きますけど、当時はみなさんすごくカチッと盛装していたんですよ。でもそういう服を持っていなかったので、法事とこういう時は、制服(笑)。「制服は万能だな~」って思ってましたね。…真面目だったんですよ! 短大に行ってからは、ちょっとオシャレしてみてますけどね(笑)。
(ガサガサっと秘蔵写真が封筒から現れる)

――プラダのバッグ抱えてめっちゃポーズとられてますけども…

田辺:これ、おみやげだったんです。バブルですよねえー(遠い目)。うれしくって、ずーっともったいなくて使わずしまい込んだまま存在を忘れ、数年前に「断捨離しよ!」と思った時ひょっこり出てきたんですよ。「なんだこの黒いバッグ、肩ひもが長いから法事にも使えないわー」って思ったら、この時のだったっていう…(笑)。

――ゴージャスな時代ですねぇ…

田辺:ね。ビンゴじゃないんだよ。ひとり1個だよ? すごいよね! あとこっちの集合写真が、バスハイクの写真。出来たばっかりの八景島シーパラダイスに行ったんです。何人居るんだろ。みんな「登美丘高校ダンス部」みたいな雰囲気ですよね。時代だわぁ…。参加しているのはそうそうたるメンバーですよ! 編集さんも…めっちゃ若い(写真と横にいる担当を見比べる)。あ、一応この前に、著作権のこととか、まじめな研修があるんです。集英社に集合して。その後リムジンバスで移動するんですけど、バスで具合が悪くなったんですよ~。バスの中もゴージャスで、真ん中にね、ラウンジみたいなテーブルがあって、ケーキやプリンがワーッと置いてあるんです。「ご自由にどうぞ」って。それで浮かれて食べ過ぎ、もどしてしまうという失態をおかし…矢沢あい先生と吉住渉先生が「大丈夫?」って介抱してくれた覚えがあります。「もう出すもの出しちゃったんで大丈夫です!」って言って…。恥ずかしかったー!

――この頃は『まゆみ!』と、「くねくね横丁」との両立でお忙しかったんでしょうか?

田辺:本誌にも増刊にも載りたくて、すごく頑張ってましたね。増刊だとページ数がたくさんもらえるから、読みきりのネームを作って。

――当時「りぼん」の増刊が頻繁に出ていましたよね。1995年春のびっくり大増刊号には『私の彼は浮気症』※6という32p作品もありました。

(ガサガサっと秘蔵コピーを封筒から差し出す)

田辺:わーすごいの持ってきましたね。まゆみ短編集の中で一番恥ずかしいやつだ(笑)。自分で言うのもなんですが、扉のバイクの描きこみ、すごくないですか? ちゃんと資料見て描いてる! あとトーンをバリバリ使いたかったんでしょうね(笑)。増刊はページ数が多かった分、描きたいことをたっぷり描けるのがうれしかったんですよ。この頃は、描くのが楽しくてしょうがなかったんで。これ…内容は『まゆみ!』と違って自分の実話ベースではないんですけど、今見るとめっちゃ恥ずかしいな~。フフッ。

――『まゆみ!』も含め、ギャグはネタ探しが大変そうですが…

そうですねぇ。学校に行きながらも、ず~っとネタを探していましたね。あとおそらく、「くねくね横丁」が始まったころ急激に絵がうまくなっているハズなんです。意識的に変えようと思って変えたんで…。

――確かにこの頃から『まゆみ!』の大人気キャラ・ボーバーが「普通のおばあちゃん」から、「デフォルメされたキャラクター」になっていきますね。

田辺:はい、横丁の小さなスペースに合わせてデフォルメをがんばったのと、当時はふろくカットで先輩の先生方がとても上手にキャラクターをデフォルメされていたので、参考にさせてもらいながら練習しました。

――ボーバーはふろくにもなって、大人気キャラクターになりましたね。ボーバー(実物)が口絵に登場したこともありました。

田辺:そうそう、おばあちゃんを神保町に連れてきたんですよ。「集英社の人に団子をくれるだぁ」※7って、おばあちゃんが前日にお団子をこしらえて。風呂敷で包んでね。電車で運んでいる最中に傾いちゃって、みつがダラーっとあふれてたんですが、編集部でみなさんにふるまったんですよね(笑)。その時すでに、80歳を超えていたんですけど、本当に元気でした。当人は、「りぼん」に載っていることに興味がなかったみたいで、何描いても平気だったんですよね。

――もはや「りぼんっ子」全員のおばあちゃんみたいな存在でしたね、当時は。

田辺:賛否両論だったというお話でしたけど(笑)、ありがたいことですよね。

●『まゆみ!』が始まったころ

――『まゆみ!』の読みきり版は、まだ田辺先生が中学生の頃でした。

田辺:中学3年生でしたねー。デビューが決まった時だけ、うちの親が一緒に編集部に来ましたね、そういえば。その後は特に…。おばあちゃん同様、娘がまんがを描いているということに対して、あまり興味がなかったんだと思います。パーティーも高校時代一人で行ってましたもん。

――学校のお友だちは、「りぼん」でまんがを描いていることは知っていましたか?

田辺:もちろん知ってましたよ~。高校の推薦入学の面接でわざわざ「りぼんでまんが描いてます」と言いましたし(笑)。面接官に「えーっ!」と驚かれました。むしろ当時はそれで合格できたのかなとすら思っていました。したたかな中学3年生ですよね…。今では考えられないですけど、推薦もらえる程度にあの頃は勉強していたんですよ。

――高校時代からはまんが三昧の生活に?

田辺:それが、高校入学後軟式テニス部に入って、かなり真剣にやってたんです。真っ黒に日焼けして。16時~18時まで学校にいて、家に帰ってネームをやって…。商業高校だったので簿記などの検定試験の勉強もあり、「わー」ってなるとネームをするんです。夜中の2時くらいに、深夜テンションでちょっとおかしなネームをFAXで送って、担当さんに「どうしたの?」と言われたことも結構ありました。

――できたそばから送っていた?

田辺:そうなんです。初代担当の岩本さんの頃は〇×△方式だったんですよ。おもしろかったら〇で、ダメだったら×、直して面白くなりそうだったら△がついて戻ってくる。ダメでもいいように、4ページ掲載の場合は8ページ分ぐらいネームを出していました。

――なるほど、〇の本数がページ数分になったらペン入れする。

田辺:そうです。厳しかったなー(笑)。でもあれで鍛えられたと思います。内容に関しては特に指定は無かったんですが、「季節感は気にしてくださいね」とは言われていました。でもクリスマスの話を9月くらいに考えるわけで…学生時代はピンとこなかったですね~。

――ちなみに「スーパーマユリン」(美少女戦士バージョン)はどんな経緯で…?

田辺:「マユリン」は確か高校2年生の体育祭くらいの時期、学校で超ふざけている時に思いついて描いた覚えがあります(笑)。

――現在連載中の『まゆみ!! ~再婚~』シリーズはどんな経緯で……?

田辺:テニスをしている時に、クッキー編集部の小池さんから電話が掛かってきて。
「…トクン……恋のヨカン」というのは冗談で、「これは、お仕事のヨカン」と…。

――何年ぶりのお仕事だったんでしょうか?

田辺:5年ぶりぐらいだったんじゃないでしょうか。前作の連載を終えたあと、当時の担当さんから「ネーム出来たら送ってくださいね」と言ってもらっていたのに、すっかり忘れてお休みし続けているうちに「私、お仕事切られたんだ」と勝手に思っていて…。連載はじまってからその担当さんに「待ってたのに!!」と言われて「あ、そうだ。勝手に長いこと休んでいただけだった」と思い出しました(笑)。

――逆に言えばそれ以外の時期はずっとまんがを描いてらしたわけですね。

田辺:そうですそうです。何だかんだ描かせていただいて…。

――あの頃の「りぼん」の読者が30代になり、「りぼん展」に集まって「くねくね横丁」や『まゆみ!』をまだ愛してくれていることについて、どうお考えですか?

田辺:「まさか!」って感じですよね。本当にありがたいし、頑張ってよかったなってしみじみ思います。今、趣味でテニスをやっているんですが、ペアを組んでいる方が30代で思いっきり「りぼん」読者だったんですよ。子どもの頃『まゆみ!』や「くねくね横丁」を読んでいたと聞いて…驚いちゃって(笑)。今30代ぐらいの女性はみんな「りぼん」を読んでいたんだなぁって思うと、本当にうれしいですし…時代は回るのね~と思います。自分自身も、「とんケチャ」を楽しく読んでいたので、「くねくね横丁」を読んでいたという人の気持ちは一ファンとしてわかります。そんなコーナーを任せてもらえて、うれしいなー、ありがたいなーと思います。

――「りぼん展」に来場予定の、あの頃のりぼんっ子に向けて一言お願いします。

田辺:「りぼん」も私も元気です(笑)。会場でぜひお楽しみくださいね。
そして、「Cookie」で『まゆみ!』の続きを連載しているので、思い出した方はぜひこちらもお読みください。まさかの「いとー君」との関係も佳境な感じです。6:4で実話です(笑)。当時の読者の方なら、この横恋慕をお楽しみいただけるんじゃないかと!!ボーバーやナアさんも、幽霊になってちょいちょい出てきますよ~。

――ちなみに、トミーに今だからこそ言っておきたいことはありますか?

田辺:「メガネを、やめるな!」と。それだけですね(笑)。

――ありがとうございました。それでは「横丁の有名人」恒例のサインをお願いします。

田辺:おお!サイン(笑)。なに描きましょうかねー、やっぱりボー↑バー↓ですかね~?(と言いながらサラサラとペンを走らせる)

――あの……もしかして「ボー↑バー↓」(発音)なんでしょうか?

田辺:そうなんですよー(サラサラ)「ボー↑バー↓」なんです。ちなみにナアさんも
「ナア(→)さ↑ん↓」なんです。「りぼん」で連載している頃から「文字だと伝わらないな、文字、難しいなー」と思ってました。(サラサラ)あ、あとボーバーがよく言っていた「あっさらしぃ」は飯能弁なんですけど、この間も父が普通に使ってましたよ。ラグビーのワールドカップを観ながら「……あっさらしぃぃ!(大声)」って。

――標準語に翻訳すると、どの言葉が一番しっくりきますか?

田辺:「ワ~オ!」ですかね(サラサラ) 標準語でなく英語ですねコレ…。

――なるほど。さりげにマッキー一発描きでボー↑バー↓描かれてますけれども

田辺:あ、下描きした方が良かったかな?

――いえ、むしろよく一発で描けるなと…

田辺:描けるかなぁってちょっと不安でしたが、最近「Cookie」でも描いてるんで、描けましたねえ(サラサラ)。この、アフロの部分をうまく描くコツがあってですね…

――どのようにすると…?

田辺:くるくるくるっと横に行きたくなるんですが、くるくるを上下上下に。こうするとアフロ感がまとまります。(サラサラ)「くねくね横丁」の頃、コツを見い出しました。(サラサラ)あ! 思いっきり絵を描いていたら、サインをするスペースが狭くなりましたが(サラサラ)……完成です! 

――ワ~!!!!! あっさらしぃ!

©田辺真由美/集英社

田辺真由美
埼玉県飯能市出身のまんが家。『まゆみ発見恋』(「りぼんオリジナル」1989年夏の号)でデビュー。代表作となった『まゆみ!』をはじめ、実話をまじえたハイテンションなギャグとキュートなキャラクターで人気を博す。以降『カトちゃんケンちゃん』(マーガレット)『見合いへGO!』(YOU)などでも活躍。現在は「Cookie」で『まゆみ!! 2019〜再婚〜』を連載中。

『まゆみ!』※1
1990年から連載が開始された4コマまんが。主人公まゆみと恋人の伊藤君の関係を中心にした学園生活ラブコメディから、まゆみの祖母・ボーバーをはじめとする愉快な家族たちとのはちゃめちゃショートギャグ作品へと発展。2003年まで長期にわたり連載された。「特別展 りぼん」開催を記念して編まれた電子版アンソロジー「90’sりぼんギャグスペシャル1~3」すべてに、よりぬき『まゆみ!』傑作選収録。よろしければ…。

「とんケチャ」※2
「みーやんのとんでもケチャップ」の略称。80年代の「りぼん」を代表する名物読者コーナーで、少女まんが界にインドネシアの民族音楽「ケチャ」を流行らせたり、「待て!次便り」というシメの言葉を流行させたりもした。

「デストラーデ」※3
1989年より西武ライオンズで活躍した助っ人外国人選手。とにかくこの頃べらぼうに強かった西武ライオンズにおいて圧倒的な存在感を放ち、秋山・清原・デストラーデの打順は「AKD砲」と呼ばれていた。

「一人暮らしネタ」※4
「くねくね横丁」第20回目の柱まんが。トミーとマスコット猫のくねぴーが台車を押してまゆみの引っ越しを手伝う。

「アルシンドとラモス」※5
1993年のJリーグ開幕当時、鹿島アントラーズのFWとしてプレイしたのがアルシンド、読売ヴェルディの中心選手だったのがラモス瑠偉。カッパとモジャモジャとして小学生の心に深く刻まれていた(はず)

『私の彼は浮気症』※6
「りぼん」1995年春のびっくり大増刊号掲載。とにかく浮気症のタマと、怒りながらもぞっこん惚れているモモの、なんだかんだ揉めながらもラブラブな感じがカワイイ
ギャグ読みきり。同号巻頭の『まゆみ!』4コマにも、カラーでボーバー(実写)が。

「集英社の人に団子をくれるだぁ」※7
「集英社の方にお団子をご馳走しなきゃ」の意。電子版の『まゆみ!選抜A~熟女のキケンな戯れ~』あとがきにも当時のエピソードが掲載されているので、必見。

TOPへ戻る